すべてころす

いつの間にか一年が過ぎていた。

 

社会に迎合してから大体5年くらい経ったのだが、一番上下の振れ幅が小さく安定していた年だった。

 

一番平穏だった。渋谷駅で後ろから鞄ごと蹴られたことを除いたら。

 

逆に言えば、今までの年はそんなもんじゃ済まされないような日々で、ただ混沌だけが支配する社会で、多数決だけが支配する社会で、正論で人を殴ることが日常と化した世界で、自分の常識が非常識に変換される世界で、本当に心をすり潰されるだけの人生だったけれど、今年は本当に幸せだった。

 

いい包丁を買い、砥石の使い方を覚え、料理の本を買い、仕事はそれなりに安定していた(給与は全く上がらないが、人間関係が良かった)。例年よりだいぶ本も読めた。映画は少なくなってしまったけれど・・・・・・

 

こうした社会的摩耗が限りなく減った世界で自分は何かできたのだろうか。

 

全く何も為すことができなかった。

 

日常生活の延長線上の何かしかしてなかった。やりたいと思い描いてたことに全く手が届かなかった。何もしていないとは言わないが、成果には繋がらなかった。

 

昨年一番培うことが出来なのは、似非コミュニケーション能力で、思ってもないことをだいぶ言えるようになったし、空気を読むのもだいぶ上手くなった。的確な表情を出すことがスムーズにできるようなった。このお陰で職場の人間関係をだいぶ調整できるようになった。

今後は他人から自分に対する期待を如何にさせないか、つまり、自分に期待をしないように勤めないといけない。無限に仕事が舞い込んでくるので。

 

確かにこんな技術は習得できたのだけれど、おれはこんな事したい訳ではなくて、こんな処世術使わなくていいなら本当に使わなくていい。無駄だ。こんな知らなくていい技術もない。結局おれは社会に絆で結ばれている。本当に最悪だ。

 

すべての問題は、時間があるのに何もしない自分だった。

 

だから、今年はすべてをころす。

立ちはだかる障壁はすべて鏖殺する。自分でさえも。

 

物事に対して、やらない理由を見つけるのはだただた簡単で、わかりやすく、実行しやすい。疲れたとか、面倒とか、やる気が出ないとか・・・・・・

 

それに比べて、やる理由をこじつけるのは本当に難しい。

やらない自分を見つけた瞬間それはただの障壁であり敵である。だからおれは自分を殺す。

 

最低限自分との向き合い方を、それだけでいい、それさえわかれば今年はいい一年になれるだろう。