実家
生活の終わり、あるいは始まり
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
年一更新なので今年も更新しています。
今年は大変でかいことがあり、10月末で6年半続いたルームシェア生活が終わった。そして上京して10年目にして初めての独り暮らしを始めている。
6年半、なげ~と思うが、一緒にいたのはルームシェア開始時から4年前からなので、実質約10年半。今年でアラサーの折り返し地点を迎えるので自分の人生の約三分の一ほど一緒にいたことになる。なげ~。
ルームシェアが終わった理由は相手方のプライベートを含むので控えるが、このブログにアクセスする人間の約8割は知っていると思うので別に言わんでええか。
2割の方に伝えると軋轢とかができたわけではないですたぶん。たまに会います。
今いろいろ振り返ると、ルームシェアの始まりなんだっけと思ったが、純粋に金がなかったんだった。ただお前となら生活できんだろ、というよくわからない直観だけだったことは覚えている。
おれは普通に大学を留年してしまった挙句、朝晩飯付き6万の寮からでていかなければならなくなってしまった。留年すると奨学金の支給が中止になったりするのでだいぶ懐が終わり始めていて、実家に送還されてしまうのでは危惧に直面しており、とにかく実家に帰りたくなかった。絶対に実家に帰りたくなかった。なんで留年したのかといえば実家もことも要因になっとるんじゃい!! 悪化するわボケ!!! という気持ちだった。
そこで寮で一番仲の良かった奴に一緒にルームシェアしようぜみたいな流れだったと思う。一つ返事だった気がする。ありがたい。
そこからとんとん話は進み、家探しになるのだが、まあ物件が決まらないのであった。もちろん住みたい家はいくらでもあったのだが、男二人のルームシェアを認めてくれる大家さんなどほとんど存在しないのであった。
大家さんの考えとしては安定して家賃を払ってくれる人に入居してほしいわけで、「男二人のルームシェア~???? どうせすぐおわっちゃうんじゃないの~~?????」という思考は容易に想像できるわけで、ことごとく希望する入居先には入れないのであった。
わりかし何十件も中見した後に、やーーーーーっとルームシェアに理解のある大家さんに見つかった。過去に4人でのルームシェアで4年ほど続けていた人がいたらしく、ありがたいこと支払いも滞ったことがなかったようで本当にありがたい僥倖だった。しかも物件の立地は23区内、駅徒歩30秒、コンビニ30秒、2階、2k、87,000円。つまり一人当たり43,500円。こんな物件を逃せるわけがなく早々に契約を決めたのだった。
・・・・・・書こうと思ったら無限に書けるのでここら辺で終わろうと思う。気が向いたら続きを書きます。
まあ、次は独り暮らし頑張ろうな、家賃約2倍になったし。
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年一更新なので今年も更新しています。
辛い年だったな。本当に大変だった。
でもでも意外と満足はしていて、なんとなく料理が上達したし、叶えたい目標があってそれに向かって行動ができている、ただそれが叶うのが大体2年くらいかかりそうだということを除けば。
今年は転換の年になることが確定していて、途方もないほどに金を貯めないといけない。俺みたいな貧弱一般人には貯金なのあるはずもなく途方に暮れているものの、やりたいことだけは沢山あってどうあがいても両立はできなくて、でも叶えた感情だけがあって悩んでいるから進めない、みたいな状況も併発していて。何も考えずに進めばいいのに。
ただ、願わなければ叶うことはないということだけは理解しているので、しっかり願っていきたいし叶えられるようにしたい。
いつになったって希死念慮から逃れられることはないだろうし、ひとりで居たいという感情が抑えきれなくって人間関係を破滅させたりするかもしれないな、そんな気持ちは今年は存在している。
去年は、なんで仕事の為にやりたいことがあるのに無理やり睡眠を取らなければいけないんだろうと感情に苛まれれていたら、1ヶ月後くらいに眠れなくなって大変だった。無意識で願いを叶えていて面白い。全く面白くない。
やはり会社勤めは無理だ、本当に無理。それを今年はどうにかしたい。何かきっかけでもいい。どうにかして個人事業で稼げるような手立てをえられるようにしたい。
今多分、無理やり生にしがみついているような状況で、少しでも油断したら死んでしまうかもしれない。だからどうにかして自分が生きていること肯定できる人生を、どうにか、どうにか・・・・・・
すべてころす
いつの間にか一年が過ぎていた。
社会に迎合してから大体5年くらい経ったのだが、一番上下の振れ幅が小さく安定していた年だった。
一番平穏だった。渋谷駅で後ろから鞄ごと蹴られたことを除いたら。
逆に言えば、今までの年はそんなもんじゃ済まされないような日々で、ただ混沌だけが支配する社会で、多数決だけが支配する社会で、正論で人を殴ることが日常と化した世界で、自分の常識が非常識に変換される世界で、本当に心をすり潰されるだけの人生だったけれど、今年は本当に幸せだった。
いい包丁を買い、砥石の使い方を覚え、料理の本を買い、仕事はそれなりに安定していた(給与は全く上がらないが、人間関係が良かった)。例年よりだいぶ本も読めた。映画は少なくなってしまったけれど・・・・・・
こうした社会的摩耗が限りなく減った世界で自分は何かできたのだろうか。
全く何も為すことができなかった。
日常生活の延長線上の何かしかしてなかった。やりたいと思い描いてたことに全く手が届かなかった。何もしていないとは言わないが、成果には繋がらなかった。
昨年一番培うことが出来なのは、似非コミュニケーション能力で、思ってもないことをだいぶ言えるようになったし、空気を読むのもだいぶ上手くなった。的確な表情を出すことがスムーズにできるようなった。このお陰で職場の人間関係をだいぶ調整できるようになった。
今後は他人から自分に対する期待を如何にさせないか、つまり、自分に期待をしないように勤めないといけない。無限に仕事が舞い込んでくるので。
確かにこんな技術は習得できたのだけれど、おれはこんな事したい訳ではなくて、こんな処世術使わなくていいなら本当に使わなくていい。無駄だ。こんな知らなくていい技術もない。結局おれは社会に絆で結ばれている。本当に最悪だ。
すべての問題は、時間があるのに何もしない自分だった。
だから、今年はすべてをころす。
立ちはだかる障壁はすべて鏖殺する。自分でさえも。
物事に対して、やらない理由を見つけるのはだただた簡単で、わかりやすく、実行しやすい。疲れたとか、面倒とか、やる気が出ないとか・・・・・・
それに比べて、やる理由をこじつけるのは本当に難しい。
やらない自分を見つけた瞬間それはただの障壁であり敵である。だからおれは自分を殺す。
最低限自分との向き合い方を、それだけでいい、それさえわかれば今年はいい一年になれるだろう。
無事生きた
一年の計は元旦にありというのであれば、更新するのもやぶさかでは無い、というより更新しなければならないという気持ちになったので書いている。
去年の目標は「生きる」だった。なんとか無事生きる事ができたので、今年はやはり「やっていく」になるのだろう。
ぶっちゃけ今も生きるのに必死である。なんとかして、どうにかして命からがらな状態を継続している事に変わりはない。ルームシェアをしていなければ既に3回くらい死んでいるだろう(決して冗談ではない)。
おれははっきり言って人間が嫌いだ。人と会うのは面倒で、大変で、とてもエネルギーを使用するし、色々な配慮もしなければいけないし、色々対応しないといけないし、正直とてもつらい。
なので去年は面倒くさいしがらみを割と無くそうと思って、どうでもいい人間や、おれのことを利用してくる人間から距離を置くことでだいぶ楽になった(一部の人間から1日で50件くらい電話がかかってきて2時間くらいピンポンを鳴らされ続けるとかそんな事になったりして大変だったのだが)。
でも人間がいないと生きていけない事も自覚していて、自分1人でこの人生を乗り越えるのは無理難題すぎる。
ただただおれは人生に対して無力で、にも関わらず、何故かやり甲斐とかそんな、抽象的でよくわからないものを求めて生きている。
適当に人生をやっていると、適当にぶち当たってくる無理難題に対して思考する羽目になるのだが、割と試行錯誤することだけは好きなので、だいたい初見殺しに殺されては、異常に高い順応性だけを支えにどうにか今まで戦ってきた次第である。
だが今ではその順応性すら薄汚れたぼろ雑巾と化し、綺麗にもならず、使い物にもならないのだが、武器がそれしかないので、ほつれを直しながらひたすら使い続けている。
この今まで何遍も繰り返したほとんど一緒のループから抜け出すには新しいことをするしかなく、何かを模索するしかなく、自分ができる事、しやすい事を探していくしかない。
自分が変わるか、環境を変えるか。
おれは常に自分が順応する事で物事を乗り越えてきた。
自分が変わる事を怠るつもりはさらさら無いが、今年はしっかり環境を変えるようにしたい。
結局やっていくしか無いのだ。
夢の中の記憶
比較的に夢を重要視している気がする。
他に「山神」と彫られていた石が奉られている小さなお堂があったのだけれど写真を撮り忘れた。