実家

新年おめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
 
3年ぶりに実家にいる。何故か留守番を頼まれてずっと家にいたりしたし、酒は一滴も飲んでない。
 
驚くべきことに親族で一番髪が長いのがおれだった。そんなことあるんだ。
カルトのネオ様に憧れてからはや3年、コロナ禍でロン毛にする目的を達成してしまったので、なんかだいぶどうでも良くなってきたのでそろそろ髪切るかという気持ちになってきている。次にする髪型考えるか。
 
3年ぶりに実家に帰った結果、次も3年くらい空けるか、それか2日しか帰らないとかそれくらいでいい気がしてきた。一人になりてえ〜。という気持ちにしかならない。家に4人以上人がいるとこうなるのかというのを思い出させてくれた。あまりにも制約が多い。
もう一人でいいや。そんな気持ちにしかならなくなってしまった。
もっと友達がいたらよかったんだけど、こっちも色々忙しくなると思って予定空けてたらガラッガラでびっくりした。
 
ぬお〜、「結婚しろ」って言われるのがめんどくせえ、「嫁連れてこい」って言われるのがめんどくせえ、髪なげえだけで「ジェンダーか?」っていうのやめろ。だいぶ差別だろふざけるな。それにおれはヘテロセクシャルだクソが。
 
今年はもうすこしまともに生きたい。そろそろ仕事からフェードアウトしたい。もっとまともな料理が作りたい。
 
ただ、去年はなんやかんやで色々根回しをしていて、今年はしたいことが少しづつできそうなので、もっとしっかりやっていこうという気持ち。
 
なので実家は切り捨てます。弟と姉には会いたいのだけれど。
 
結局、より良くしていかないといけないのよな自分の意思で。程々にいらない人間関係を切り捨てて生きたい。

生活の終わり、あるいは始まり

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

 

年一更新なので今年も更新しています。

 

今年は大変でかいことがあり、10月末で6年半続いたルームシェア生活が終わった。そして上京して10年目にして初めての独り暮らしを始めている。

 

6年半、なげ~と思うが、一緒にいたのはルームシェア開始時から4年前からなので、実質約10年半。今年でアラサーの折り返し地点を迎えるので自分の人生の約三分の一ほど一緒にいたことになる。なげ~。

 

ルームシェアが終わった理由は相手方のプライベートを含むので控えるが、このブログにアクセスする人間の約8割は知っていると思うので別に言わんでええか。

2割の方に伝えると軋轢とかができたわけではないですたぶん。たまに会います。

 

今いろいろ振り返ると、ルームシェアの始まりなんだっけと思ったが、純粋に金がなかったんだった。ただお前となら生活できんだろ、というよくわからない直観だけだったことは覚えている。

 

おれは普通に大学を留年してしまった挙句、朝晩飯付き6万の寮からでていかなければならなくなってしまった。留年すると奨学金の支給が中止になったりするのでだいぶ懐が終わり始めていて、実家に送還されてしまうのでは危惧に直面しており、とにかく実家に帰りたくなかった。絶対に実家に帰りたくなかった。なんで留年したのかといえば実家もことも要因になっとるんじゃい!! 悪化するわボケ!!! という気持ちだった。

そこで寮で一番仲の良かった奴に一緒にルームシェアしようぜみたいな流れだったと思う。一つ返事だった気がする。ありがたい。

 

そこからとんとん話は進み、家探しになるのだが、まあ物件が決まらないのであった。もちろん住みたい家はいくらでもあったのだが、男二人のルームシェアを認めてくれる大家さんなどほとんど存在しないのであった。

 

大家さんの考えとしては安定して家賃を払ってくれる人に入居してほしいわけで、「男二人のルームシェア~???? どうせすぐおわっちゃうんじゃないの~~?????」という思考は容易に想像できるわけで、ことごとく希望する入居先には入れないのであった。

 

わりかし何十件も中見した後に、やーーーーーっとルームシェアに理解のある大家さんに見つかった。過去に4人でのルームシェアで4年ほど続けていた人がいたらしく、ありがたいこと支払いも滞ったことがなかったようで本当にありがたい僥倖だった。しかも物件の立地は23区内、駅徒歩30秒、コンビニ30秒、2階、2k、87,000円。つまり一人当たり43,500円。こんな物件を逃せるわけがなく早々に契約を決めたのだった。

 

・・・・・・書こうと思ったら無限に書けるのでここら辺で終わろうと思う。気が向いたら続きを書きます。

 

まあ、次は独り暮らし頑張ろうな、家賃約2倍になったし。

年一更新なので今年も更新しています。

 

辛い年だったな。本当に大変だった。

 

でもでも意外と満足はしていて、なんとなく料理が上達したし、叶えたい目標があってそれに向かって行動ができている、ただそれが叶うのが大体2年くらいかかりそうだということを除けば。

 

今年は転換の年になることが確定していて、途方もないほどに金を貯めないといけない。俺みたいな貧弱一般人には貯金なのあるはずもなく途方に暮れているものの、やりたいことだけは沢山あってどうあがいても両立はできなくて、でも叶えた感情だけがあって悩んでいるから進めない、みたいな状況も併発していて。何も考えずに進めばいいのに。

 

ただ、願わなければ叶うことはないということだけは理解しているので、しっかり願っていきたいし叶えられるようにしたい。

 

いつになったって希死念慮から逃れられることはないだろうし、ひとりで居たいという感情が抑えきれなくって人間関係を破滅させたりするかもしれないな、そんな気持ちは今年は存在している。

 

去年は、なんで仕事の為にやりたいことがあるのに無理やり睡眠を取らなければいけないんだろうと感情に苛まれれていたら、1ヶ月後くらいに眠れなくなって大変だった。無意識で願いを叶えていて面白い。全く面白くない。

 

やはり会社勤めは無理だ、本当に無理。それを今年はどうにかしたい。何かきっかけでもいい。どうにかして個人事業で稼げるような手立てをえられるようにしたい。

 

今多分、無理やり生にしがみついているような状況で、少しでも油断したら死んでしまうかもしれない。だからどうにかして自分が生きていること肯定できる人生を、どうにか、どうにか・・・・・・

すべてころす

いつの間にか一年が過ぎていた。

 

社会に迎合してから大体5年くらい経ったのだが、一番上下の振れ幅が小さく安定していた年だった。

 

一番平穏だった。渋谷駅で後ろから鞄ごと蹴られたことを除いたら。

 

逆に言えば、今までの年はそんなもんじゃ済まされないような日々で、ただ混沌だけが支配する社会で、多数決だけが支配する社会で、正論で人を殴ることが日常と化した世界で、自分の常識が非常識に変換される世界で、本当に心をすり潰されるだけの人生だったけれど、今年は本当に幸せだった。

 

いい包丁を買い、砥石の使い方を覚え、料理の本を買い、仕事はそれなりに安定していた(給与は全く上がらないが、人間関係が良かった)。例年よりだいぶ本も読めた。映画は少なくなってしまったけれど・・・・・・

 

こうした社会的摩耗が限りなく減った世界で自分は何かできたのだろうか。

 

全く何も為すことができなかった。

 

日常生活の延長線上の何かしかしてなかった。やりたいと思い描いてたことに全く手が届かなかった。何もしていないとは言わないが、成果には繋がらなかった。

 

昨年一番培うことが出来なのは、似非コミュニケーション能力で、思ってもないことをだいぶ言えるようになったし、空気を読むのもだいぶ上手くなった。的確な表情を出すことがスムーズにできるようなった。このお陰で職場の人間関係をだいぶ調整できるようになった。

今後は他人から自分に対する期待を如何にさせないか、つまり、自分に期待をしないように勤めないといけない。無限に仕事が舞い込んでくるので。

 

確かにこんな技術は習得できたのだけれど、おれはこんな事したい訳ではなくて、こんな処世術使わなくていいなら本当に使わなくていい。無駄だ。こんな知らなくていい技術もない。結局おれは社会に絆で結ばれている。本当に最悪だ。

 

すべての問題は、時間があるのに何もしない自分だった。

 

だから、今年はすべてをころす。

立ちはだかる障壁はすべて鏖殺する。自分でさえも。

 

物事に対して、やらない理由を見つけるのはだただた簡単で、わかりやすく、実行しやすい。疲れたとか、面倒とか、やる気が出ないとか・・・・・・

 

それに比べて、やる理由をこじつけるのは本当に難しい。

やらない自分を見つけた瞬間それはただの障壁であり敵である。だからおれは自分を殺す。

 

最低限自分との向き合い方を、それだけでいい、それさえわかれば今年はいい一年になれるだろう。

 

 

無事生きた

一年の計は元旦にありというのであれば、更新するのもやぶさかでは無い、というより更新しなければならないという気持ちになったので書いている。

 

去年の目標は「生きる」だった。なんとか無事生きる事ができたので、今年はやはり「やっていく」になるのだろう。

 

ぶっちゃけ今も生きるのに必死である。なんとかして、どうにかして命からがらな状態を継続している事に変わりはない。ルームシェアをしていなければ既に3回くらい死んでいるだろう(決して冗談ではない)。

 

おれははっきり言って人間が嫌いだ。人と会うのは面倒で、大変で、とてもエネルギーを使用するし、色々な配慮もしなければいけないし、色々対応しないといけないし、正直とてもつらい。

 

なので去年は面倒くさいしがらみを割と無くそうと思って、どうでもいい人間や、おれのことを利用してくる人間から距離を置くことでだいぶ楽になった(一部の人間から1日で50件くらい電話がかかってきて2時間くらいピンポンを鳴らされ続けるとかそんな事になったりして大変だったのだが)。

 

でも人間がいないと生きていけない事も自覚していて、自分1人でこの人生を乗り越えるのは無理難題すぎる。

 

ただただおれは人生に対して無力で、にも関わらず、何故かやり甲斐とかそんな、抽象的でよくわからないものを求めて生きている。

 

適当に人生をやっていると、適当にぶち当たってくる無理難題に対して思考する羽目になるのだが、割と試行錯誤することだけは好きなので、だいたい初見殺しに殺されては、異常に高い順応性だけを支えにどうにか今まで戦ってきた次第である。

 

だが今ではその順応性すら薄汚れたぼろ雑巾と化し、綺麗にもならず、使い物にもならないのだが、武器がそれしかないので、ほつれを直しながらひたすら使い続けている。

 

この今まで何遍も繰り返したほとんど一緒のループから抜け出すには新しいことをするしかなく、何かを模索するしかなく、自分ができる事、しやすい事を探していくしかない。

 

自分が変わるか、環境を変えるか。

おれは常に自分が順応する事で物事を乗り越えてきた。

自分が変わる事を怠るつもりはさらさら無いが、今年はしっかり環境を変えるようにしたい。

 

結局やっていくしか無いのだ。

 

 

 

夢の中の記憶

 

比較的に夢を重要視している気がする。
 
わからない人にとっては眉唾な話なのだが、予知夢というか、デジャヴを稀によく見る。中学の一時期は毎日のように見ていた。今でも旅行先の風景は体感9割程度予知している気がする。ただごくごく当たり前の日常を切り取ることしかなく、宝くじが当たったぜ! みたいな具体的に得をした経験というのは全くもって存在しないのだけれど、当時買っていたガンガンの表紙を夢で見て、実際の絵を現で見るのはなかなか感慨深いものだった。
まず夢が見れないと「今日は夢見れなかったなあ」という感情で1日が始まってしまうくらいではあるだろう。
 
だが、今から記するこれはそういった予知夢とかは関係ない、ただの思い出話であり、ちょっとした過去の清算のようなものである。
 
 
───
夢。
祖父と2人手を繋いで里山を歩いていた。祖父が働いていた旅館の近くだったような気がする。斜面になった獣道で進んでいた。秋が深まっており広葉樹が葉を落とし始める頃のようだった。湿った空気を感じる。露のせいか、雨が降った後なのかわからないが地面が湿っていて、地面が見える所に足跡が残っていた。長さが10cmを越えているかどうかくらいの小さな足跡。祖父の足跡はなぜか記憶にない。漠然と靴が汚れるなあと思っていた。
頭上にあけびが生っており縦に裂けた割れ目から種だか果肉だかが見えた。丸太がたった3本並んだだけの簡素な橋を渡った。よくわからない熟れた果肉が潰れているのが散見する石段を踏み外さないように丁寧に登る。地面が濡れていて純粋に怖かった。頂上に見える灰色の鳥居。
夢の中で気がついた。これは過去の風景だ。
そう思った瞬間に目が覚めた。
───
 
 
確か小学校低学年の頃、確かに祖父と2人でそんなところに行ったような、でも確証はなかった。旅館の設定は夢が勝手につけたものかも知れない。まず全て夢かも知れない。思い出は変遷する。確証はない。
 
神社ということだけはわかる。地元には18年住んだが夢で見た神社の様子は聞いたことがなかった。まず夢の中の情景ですら寂れていて、手入れもされているようには見えず、参拝をする人間はほとんどいなそうだった。
 
考えても仕方がないので期待していないがとりあえず母に電話をした。
夢の内容を語る。
 
どうやら実際に存在するらしい。母が小さい頃、寺子屋として使われていたということだ。
そして夢と同じく、実際に祖父が働いていた旅館の近くにあるようだった。なぜか少し安心した。
 
俺は俗にいうおじいちゃんっ子という奴で、共働きの二世帯住宅だったこともあり祖父と祖母の記憶が色濃く残っていた。
怒られたことが一度もなかった。小言ですら言われたことがない。常に笑顔、とまでは言わないがとても柔和な人だった。そんな祖父といつも一緒にいた気がする。
 
そんな祖父が亡くなってもう5年にもなる。亡くなる半年前、実家に帰ると柔和だが開豁に喋っていた祖父の姿はそこに無く、歩幅も半分以下になり、耳もほとんど聞こえない。高い声が聞こえないのか、家では祖母の声が届かずよく聞き返していた。祖母は声を張ると殊更音が高くなるので、その言葉は尚更祖父に届かない。俺が低い声で伝えるとすんなり耳にしてくれた。そして少し悲しくなっていた。祖母の声がもう届かない。
 
祖父と2人で近くの温泉に入りに行った。
祖父の様子を見ながら一緒の風呂に入った。祖父の背中を洗った。手をとって転ばないようにすることだけを考えていた。人は死ぬということを覚悟しないといけないと思った。
 
祖父の訃報を母から聞いた時はバイト中だった。涙は出なかった。覚悟はしていた。人は死ぬ。当たり前の理だ。落ち着いている。泣く事はない。
早く実家に帰らないといけない。早退をする為に上司の元へ向かった。
 
先ほど、祖父が亡くなったという連絡がありまして早退をさせて欲しいのですが。
この言葉を喋るだけ。
 
ところが、「祖父が亡くなった」と声に出した瞬間、急に涙が溢れてきてまともに喋ることができなくなってしまった。わかってたじゃないか、理解していたじゃないか、もう遠くない未来のことだってわかってたじゃないか、電話がきた時は泣かなかったじゃないか、俺はわかってる、現状をわかっている、泣く必要はない、そう自分に言い続けていたのに。声にだしたら駄目だった、涙が止まらない。言葉は強く、死は悲しい。祖父の声はもう届かない。
 
 
先日お盆で実家に帰った際、そこに行ってみることにした。
グーグルマップには記載がなく、航空写真も確認したが所在はわからなかった。
 
弟に車を出してもらいくだんの旅館まで向かう。
近くに車を止め、母から聞いた道を思い出しながら歩みを進めた。
 
夢で見た風景がそこにはあった。
夢の景色とは違い、夏だったので蔦が生い茂り、ろくに進めたものではなかったが、獣道が道を示している。
 
唯一見覚えがなかったのが、小学校4年の時に、観光地として地区一帯に各地名の看板が至る所に乱立したのだが、その影響があったようで、苔生した看板が存在していた。
 
腐って軋んだ丸太の橋を越えるとほとんど草に覆われた石段があった。間違いない。確かにここだ。
 
弟がカメラを持っていたのでここに数枚載せたいと思う。
 

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なんとなく石段が見える

 

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頂に見える灰色の鳥居

 

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苔生した看板

 

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岩清水

 

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奥に別の鳥居があった

 

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 他に「山神」と彫られていた石が奉られている小さなお堂があったのだけれど写真を撮り忘れた。

  

別に、特に語りたいことがあった訳ではない。思い出としての備忘録。やはり感情は希薄し、理想が着色される。
確かに俺は祖父とここにきた。間違いない、でもどんな話をしていたかも覚えていない。そういえば凄く不気味だったと感じていたような気がする。もう何もわからない。
 
ただ今は、弟と四苦八苦しながら山を登って写真を撮った。その感情だけでいいのかもしれない。
 
 

人を理解しなければならないと言ったら、義務感で接していたのかと激昂された話

 
タイトルには若干語弊がある。
記憶を頼りにしているため、正確ではない部分があり、非常に主観的な書き方をしています。
 
 
半年くらい会っていなかった。わりとぐいぐいパーソナルスペースにつっこんでくる人だったのでそんなに得意ではなかったし、好いてもいなかったけれど、誘われてしまったし、たまに飲むのを悪くないかと思ってついていったのだった。
 
 
待ち合わせると、すでに会社の人たちと飲んできた、と出来上がっている顔でそういった。
何が食べたいといわれたので、肉が食いたいというはなしになり、近くの餃子の美味い居酒屋へ行く。
 
始めは当たり障りのない話を進めていた。
今日はこのまま接待モード話をつづけて、一時間くらいで解散できるようにしたいなあと考えていた。
途中で話の流れが変わったのはいつだっただろうか。
 
自分が、仕事を辞めて本当に幸せになったという話をした。
1人で自由に時間を使えること、ストレスがなくなったので本当に時間ができて気分がいいんです。
 
そういうと相手は、
「正直言って全然理解できない」
と返された。
 
相手:「なんでそれがストレスがなくなるわけ?できるだけ忙しいほうがいいじゃん。仕事もずっとしていたいし、人から頼られたいから。だから時間があることがいいこととは全く思わないんだよね」
 
切り返す。
16診断って知ってます? その項目の中で、内向型と外向型の判断があるんですけど、僕は内向型の比率が100%でした。つまり外向型は0%です。
すべての事柄が自分に向かっているんです。
だから僕は人と接することは得意ではないですし、仕事なら仕方がないけれど、プライベートならあまり人に頼りたくないんです。分け隔てなく頼られたいわけでもないです。
1人になれる時間があるのなら1人になって引きこもって本読んだり勉強したりするほうが好きなんです。
でも僕は、他人を理解したいという感情が強いので人の話を聞くことがすごく好きです。
なので人と話をすることができるんです。これはとても利己的な考え方なのですが……
 
相手:「どうして理解したいの?」
 
わかりません、たぶん欲求みたいなものだと思います。
例えば、これは昔の話ですが、このランチに700円かけるくらいなら文庫本買うわ、みたいな精神の時期が長かったんです。
飯くって金が減るくらいなら、本か何かを買って読みたい。僕は睡眠欲とか食欲に加えてなにかコンテンツを食べないと生きていけない。テンションも下がるし、自然と体調も悪くなる。いい物語を読むと本当に気分がいいし、たのしくなるから。
当時はまだ極端なコミュ障で、人と話をすることができなかったのであれなんですけれど。
 
相手:「なんでそうなの?」
 
こっちが知りたいです。
 
相手:「なんでもっとそれについて考えないの?」
 
考えた結果、そういうもんだと思っています。
 
相手:「なんであきらめるの?」
 
あきらめたというか、別にそれで構わないと思っていますし、
これはただの取捨選択です。時間に限りがあるのですから、ある程度考えた結果、区切りをつける、見限るというのは必要だと思います。
あとは、例えですけど、生理現象ならしかたなくないですか?
 
相手:「たぶんさあ、人のためになりたいんだよね?」
 
(ん?)
すみません、どういう意味ですか?
 
相手:「だからさあ、そうやって本読んだりいろいろしたことを、周りの人に伝えたいんでしょ?」
 
えっと…… いや、完全に自己満です。勉強したいことがあるので勉強しているだけです。
 
相手:「じゃあ何のために勉強してるの?」
 
なんででしょうね。
たぶんしたいからだと思います。もちろん仕事として必要なこともありますし、まず好奇心だと思います。表紙を見て気になったり、タイトルに惹かれたり、何となく必要だと思ったり、知らないこと知ることは普通に楽しくないですか?
 
相手:「なんなの? それは人の為だよね?」
 
いえ、したいことをしているだけなので人の為という明確な目的を持っているわけではないですね。
 
相手:「でも、例えばさあ、それを人に教えたいわけでしょ?」
 
(教えたい??)
いえ、別に教えたいから勉強をしているわけではないです。
 
相手:「じゃあほんとに何で勉強しているわけ?」
 
だからやりたいからやっているだけなんですよ。特に理由はないです。
 
相手:「じゃあさあ、目の前で人が困ってて、それを教えことができる場合教える?」
 
まあ、そうですね…… 聞かれれば教えると思います。
 
相手:「でしょ? じゃあ人のために勉強してるよね?」
 
だからそういうわけでは……
 
相手:「なんでそこを中途半端にするわけ!?」
 
(中途半端とは???)
中途半端にしているつもりはないですよ。
そういう人間だと思っているだけですし、そこまで他人の為になりたいと思って生きていないです。結果的に役にたつかもしれませんけれど。
 
相手:「そういう人間って…… なんでそこをちゃんとはっきり解決しようとしないの?」
 
(中途半端は明文化しろという意味か?)
うーん、それは、白黒はっきりさせる必要性がないと感じているからだとおもいます。
 
相手:「そこをさあ、はっきりしないとダメなんだと思うんだよね。それにもっとポジティブにならないと駄目だよ! だってさあ、目標って大事でしょ? なんかこう、許せないんだよね、ちゃんと考えろよって思っちゃう」
 
それって、答えをすぐに出さないといけないことなんですか?
 
相手:「だってそれ、考えることをあきらめてるんでしょ?」
 
……だから、たぶんそれが他人を理解したいってことに帰結すると思うんですよ。
例えばなんですけど、知らない人がいて、なにをしたら友達になりますか?
 
相手:「話をしたら友達でしょ」
 
だと思いました。でもそれって人によっては異なってくるじゃないですか、例えば一緒に飲んだくらいなら知り合い、連絡先交換したら友達とか、さしで飲んだら友達とか、家にいれたらとか、しいて言えば友達というカテゴリはないみたいな人もいて、個人の差異は多様だと思うんですよ。そういう些細な違いから相容れられる人間と相容れることができない人間が出てくるわけです。それを理解したい、というか、理解しなければならないと思っているんです。
 
相手:「それはしなければいけないことなの?」
 
僕はそう思っています。努めているつもりです。そこまで意識しないと僕は他人のことが何もわからないですし確実に心無いことを言ってしまうからです。
過去にあった経験なんですけれど、大学の友達で、こんな言い方をするのもあれなのですが、こう俗にいうメンヘラになってしまった人がいたんですよ、仕事の環境で。
で、どうやらいろんな人に話を聞いてもらいたいと、構ってほしいと電話をしているわけだったのですが、僕にも電話が来たわけです。話をするとまあネガティブですし、環境は大変だし、同じような話は繰り返すしでまあ正直聞くに堪えないわけです。耐えましたが。
でも、僕まで電話が回ってくるなんてそうとうなことですよ。いろいろな人に電話してうんざりされてでなくなってしまったんでしょうね。
確かに大変だなと思ったんですけれど、ここで俺がでなかったらどうする、最終的にはけ口とかなくなってしまうかもしれん、というか本当に死にかねない、という状況がひしひしと伝わってきたんですよ。だからたとえ俺以外の人間が全員拒絶したとしても、俺だけは絶対にあきらめちゃいけないなと、そう思ったんです。
その友達は恩を返さないといけないことがあって、だから何かできるんじゃないかと思って、その子からくる電話は全部出ました。
その時は、1人で作業するバイトだったのでいつでも電話に出ることができたんですね。
最終的に週6で一日4時間以上電話してました。
基本、夜に電話がかかってきて、友達が寝落ちして寝息が聞こえたら電話を切るという生活でした。向こうが本当に大変なときは、昼休憩や、トイレに逃げ込んで電話してくるときもありました。
 
相手:「すごいね、そんな大変なことがあったんだね。私はたぶん無理だと思う」
 
僕もいま思うとよくやったなと思っています。
でも理解するってこういうことだと思うんですよ。
 
例えば、知らない道行く人に挨拶をするとします。
でもその人から挨拶を返されることはありませんでした。
普通の人はむっとするかもしれないけれど、僕はそれでも構わないんですよ。
挨拶を返すというのは、礼儀みたいな道徳的な観念であって、返さなければいけない絶対的なルールではないからです。
それは聞こえなかったかもしれないし、返事をしたくなかったかもしれないし、急に話しかけられてびっくりして返すことができなかったのかもしれない。実は知り合いで僕のことが嫌いだったのかもしれない。
僕は、礼儀がなっていない、とかそんな理由で他人を批判したくないし、拒絶をしたいわけではないんです。
そういう人間がいる、というのをひたすら理解したいんです。
それだけでは相手の背景は何もわからないし、自分の考えを押し付けているだけに他ならないからです。それだけで相手を判断するのはおこがましいのではないかと思ってしまうんです。
だから相手の考えを理解したい、しなければならないと思っているんです。
だから道徳的に嫌な人も、どこかしらでマイノリティを抱えている人も理解していかないといけないんですよ。
なにかを発信するとき、話し手と聞き手がいると思いますが、理解するには個人的には9割話す側に責任があると感じています。だからこそ自分が聞き手に立った際、理解しなければと思っています。
 
相手:「ひとつききたいんだけどさ、私にも理解しなければいけないと思っているわけ?」
 
基本的に分け隔てはありません。ほとんどの人に対してですね。
 
相手:「なんでそんなことになってんの?」
 
わからないからです。何一つわからないからです。
 
相手:「あのさ、わかる? 私いまめっちゃむかついてるんだよね。いままで私に対して、理解しなければならないっていう義務感で接していたってこと? なんで!? なんでそんなことしないといけないの!?」
 
……いろいろ考えた結果、そういう人間なんだと落ち着きました。
 
相手:「はあ? だからそうやってあきらめんのか? もっと考えろよ! だめだ、本当に切れた。義務感で接してたなんて最低だ」
 
そういって相手は勘定といい、足早に帰ってしまった。
 

正直この流れが全然理解できなくて本当に参ってしまった。
わからない。完全に訳がわからなかった。
 
地球上の全員と仲良くなりたい、と思う人を嫌いな人が存在するので、全員とは仲良くなれない、とは有名な話だが、それでも、それでもおれは誠実に対応したかった。理解に努めることが相手の尊重になると思っていた。
 
でも、相手にとってはそうでなかった。
なにも考えず気さくに接するべきだったのだろうか。最初の予定通りおべっかで、よいしょして、この場が終えることを目指すべきだったのだろうか。
 
人間関係が大変だ、というけれど、人間関係以外大変なことがない、と思わざるを得ない日だった。