夢の中の記憶

 

比較的に夢を重要視している気がする。
 
わからない人にとっては眉唾な話なのだが、予知夢というか、デジャヴを稀によく見る。中学の一時期は毎日のように見ていた。今でも旅行先の風景は体感9割程度予知している気がする。ただごくごく当たり前の日常を切り取ることしかなく、宝くじが当たったぜ! みたいな具体的に得をした経験というのは全くもって存在しないのだけれど、当時買っていたガンガンの表紙を夢で見て、実際の絵を現で見るのはなかなか感慨深いものだった。
まず夢が見れないと「今日は夢見れなかったなあ」という感情で1日が始まってしまうくらいではあるだろう。
 
だが、今から記するこれはそういった予知夢とかは関係ない、ただの思い出話であり、ちょっとした過去の清算のようなものである。
 
 
───
夢。
祖父と2人手を繋いで里山を歩いていた。祖父が働いていた旅館の近くだったような気がする。斜面になった獣道で進んでいた。秋が深まっており広葉樹が葉を落とし始める頃のようだった。湿った空気を感じる。露のせいか、雨が降った後なのかわからないが地面が湿っていて、地面が見える所に足跡が残っていた。長さが10cmを越えているかどうかくらいの小さな足跡。祖父の足跡はなぜか記憶にない。漠然と靴が汚れるなあと思っていた。
頭上にあけびが生っており縦に裂けた割れ目から種だか果肉だかが見えた。丸太がたった3本並んだだけの簡素な橋を渡った。よくわからない熟れた果肉が潰れているのが散見する石段を踏み外さないように丁寧に登る。地面が濡れていて純粋に怖かった。頂上に見える灰色の鳥居。
夢の中で気がついた。これは過去の風景だ。
そう思った瞬間に目が覚めた。
───
 
 
確か小学校低学年の頃、確かに祖父と2人でそんなところに行ったような、でも確証はなかった。旅館の設定は夢が勝手につけたものかも知れない。まず全て夢かも知れない。思い出は変遷する。確証はない。
 
神社ということだけはわかる。地元には18年住んだが夢で見た神社の様子は聞いたことがなかった。まず夢の中の情景ですら寂れていて、手入れもされているようには見えず、参拝をする人間はほとんどいなそうだった。
 
考えても仕方がないので期待していないがとりあえず母に電話をした。
夢の内容を語る。
 
どうやら実際に存在するらしい。母が小さい頃、寺子屋として使われていたということだ。
そして夢と同じく、実際に祖父が働いていた旅館の近くにあるようだった。なぜか少し安心した。
 
俺は俗にいうおじいちゃんっ子という奴で、共働きの二世帯住宅だったこともあり祖父と祖母の記憶が色濃く残っていた。
怒られたことが一度もなかった。小言ですら言われたことがない。常に笑顔、とまでは言わないがとても柔和な人だった。そんな祖父といつも一緒にいた気がする。
 
そんな祖父が亡くなってもう5年にもなる。亡くなる半年前、実家に帰ると柔和だが開豁に喋っていた祖父の姿はそこに無く、歩幅も半分以下になり、耳もほとんど聞こえない。高い声が聞こえないのか、家では祖母の声が届かずよく聞き返していた。祖母は声を張ると殊更音が高くなるので、その言葉は尚更祖父に届かない。俺が低い声で伝えるとすんなり耳にしてくれた。そして少し悲しくなっていた。祖母の声がもう届かない。
 
祖父と2人で近くの温泉に入りに行った。
祖父の様子を見ながら一緒の風呂に入った。祖父の背中を洗った。手をとって転ばないようにすることだけを考えていた。人は死ぬということを覚悟しないといけないと思った。
 
祖父の訃報を母から聞いた時はバイト中だった。涙は出なかった。覚悟はしていた。人は死ぬ。当たり前の理だ。落ち着いている。泣く事はない。
早く実家に帰らないといけない。早退をする為に上司の元へ向かった。
 
先ほど、祖父が亡くなったという連絡がありまして早退をさせて欲しいのですが。
この言葉を喋るだけ。
 
ところが、「祖父が亡くなった」と声に出した瞬間、急に涙が溢れてきてまともに喋ることができなくなってしまった。わかってたじゃないか、理解していたじゃないか、もう遠くない未来のことだってわかってたじゃないか、電話がきた時は泣かなかったじゃないか、俺はわかってる、現状をわかっている、泣く必要はない、そう自分に言い続けていたのに。声にだしたら駄目だった、涙が止まらない。言葉は強く、死は悲しい。祖父の声はもう届かない。
 
 
先日お盆で実家に帰った際、そこに行ってみることにした。
グーグルマップには記載がなく、航空写真も確認したが所在はわからなかった。
 
弟に車を出してもらいくだんの旅館まで向かう。
近くに車を止め、母から聞いた道を思い出しながら歩みを進めた。
 
夢で見た風景がそこにはあった。
夢の景色とは違い、夏だったので蔦が生い茂り、ろくに進めたものではなかったが、獣道が道を示している。
 
唯一見覚えがなかったのが、小学校4年の時に、観光地として地区一帯に各地名の看板が至る所に乱立したのだが、その影響があったようで、苔生した看板が存在していた。
 
腐って軋んだ丸太の橋を越えるとほとんど草に覆われた石段があった。間違いない。確かにここだ。
 
弟がカメラを持っていたのでここに数枚載せたいと思う。
 

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なんとなく石段が見える

 

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頂に見える灰色の鳥居

 

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苔生した看板

 

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岩清水

 

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奥に別の鳥居があった

 

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 他に「山神」と彫られていた石が奉られている小さなお堂があったのだけれど写真を撮り忘れた。

  

別に、特に語りたいことがあった訳ではない。思い出としての備忘録。やはり感情は希薄し、理想が着色される。
確かに俺は祖父とここにきた。間違いない、でもどんな話をしていたかも覚えていない。そういえば凄く不気味だったと感じていたような気がする。もう何もわからない。
 
ただ今は、弟と四苦八苦しながら山を登って写真を撮った。その感情だけでいいのかもしれない。