通学路の風景

 
晴天が好きだ。
雲一つない青空が好きだ。
窓から雲一つない空を切り取る。そんな日があると、どうしても思い出して、懐かしさにおぼれてしまう日がある。
 
 
実家が10分ほどで海岸へ行けるような場所にあり、かつ高所にあって海が望める。そんな立地だった。大体海抜30メートルほどだろうか。
 
玄関をでてブロック塀で囲まれた細い道を通る。自動車免許の合宿所の前を通り、住宅街5分ほど歩く。猫がよくたむろする潰れたラーメン屋と古びたホテルの看板をすぎるあたりで、右手に車が一台入れそうな下り坂が見えてくる。そこを曲がると開けた駐車場になっていて高台から海を一望できる場所がある。
そこから長い階段を下り、海抜4メートルくらいまで降りて、すぐにあるバス停から高校へ向かう。
 
小学校、中学校、高校と、千回を超えて通り過ぎた通学路だった。
 
その日、いつものように古びたホテルの看板すぎで道を曲がると、そこで視界に入りこんできた景色に愕然としてしまっていた。
 
陸地から向こうに、広大な青が広がっていた。
風が吹いていなかった。海には白波も船も存在しなかった。雲が一つもなかった。
視界には水平線が横断しその杳々とした広さを知らしめている。
ただただ青い情景が視界情報にのめりこんでくるようだった。
 
ここに10数年住んできて、こんなことがあっただろうか、そう問わずにはいられなかった。
景色を見て、綺麗だと感じることがあったが、凄みを感じたのは初めてだった。
 
冬は常に曇天に包まれ、鈍色の空模様しか映し出すことはなかった。風は荒び、海は鈍重に白波を立てては寄せるを繰り返していた。
夏は、澄んだ空に入道雲が高高度でそびえ、太陽は昂然と辺りを照らし、海は爛漫な空気で包まれ、海水浴客で辺りはごった返していた。
春と秋は季節の変わり目で、殊更めまぐるしく風景は変遷する。
 
その景色は、何も無い。本当に何もなかった。
 
こんなことありえなくて、雑多で煩雑で、必ず何かが何かが存在しはずの、 表情を変え続ける情景のなかに今、静止した瞬間がそこにはあった。
何も無い代わりに、不可視の存在感だけが辺りを包み込んでいた。
 
一瞬、隅に鳥が滑空した。
時は動きだし、そこはかとなく日常が帰ってきていた。
いつの間にか呆然と立ち尽くしていて、危うく初めての路線バスに乗り遅れるところだった。
その日が4月、高校1年1日目、初登校日の朝だった。
 
 
 
4月に入って、ちゃんと晴れ間を見た気がした。
仕事中、窓を垣間見ると雲のない青空が広がっていて、ついつい過去の風景を思い起こす。
綺麗だし好きではあるのだけれど、どこか物足りなさを感じてしまう。
 
そうして過去の、あの瞬間に馳せては、寂寥の思いに浸ってしまうのだ。
 

主人公の名前が決められない

ゲームで名前を付けるのが苦手だ。
 
もはや嫌いの域に達しているといっても過言ではない。
可能な限り名前がついていてほしい。
自分で名前を付けるゲームだとやる気が落ちて始めるのをあきらめることすらある。
 
FF6みたいな感じでデフォの名前が入力されているだけで、変更できる仕様とかにしてほしい。
 
たとえば自分の名前をつける。
まあそれが一番多いのかなあと想像するけれど、個人的にはつけたくない。
自己投影したい人間だけじゃないんだよ。その人間になりたいわけでも、主人公として体験したいわけでもないんだよ。
 
名前を付ける行為って、すごく重たくないですか?
俺が今から付ける名前を背負って生きてもらうとか、重責では??
 
 
これは物語に対して感情移入ができないことと相似することだと思うのだけれど、この世界にこうしてキャラクターが成り立っているのに、俺の名前を語るとかちょっと厳しいでしょ、みたいな感情になっているのだと思う。
 
逆に言うとつけるからには、ちゃんとした名前を付けてあげないといけない(と思ってしまう)。
そうして悩みに悩んだ結果、結局はじめられないのでゲームをしない選択をとってしまうのだ。
 
 この人の生きた環境、将来、願いがあってと考えてしまい、初めて数分でこの人の名前なんて決められるわけないだろうが!!
となってゲームするのをあきらめそうになる。もしくはしない。
 
Fate/EXTRAは名前付けるの本当に無理ってなったけど(今から聖杯戦争するんやぞ!? という重み)、岸波ハクノという名前があるだけよかった。
 
が、少女偽譚に関しては、正式な名前を付けたらそれシステム的に厳しいやんか! なあ!! となってしまう訳だ(進めてくれた友達に名前を決めてもらいましたゲームはおもしろかったです)。
 
拡張少女系トライナリーみたいなbotになるとか自分がその世界に干渉するようなお話なので、それなら自分の名前を付ければいいか、まだ楽(ストーリー面白いけど戦闘が絶望的に面白くないので一章終わってない)。
 
考えると、個人的にはプレイキャラクターは自己ではなく、相棒、もしくは尊敬に至るものという感じがする。
俺が、主人公の世界を救うこと観測した、という意味合いが強いのだ。
たしかにコントロールしているのはおれなのだけれど、ストーリーにでてくるのはおれではなく主人公なのだ。だからとても好きになれるし、やっぱお前最高だよなと、そう思っていたいのだ。
 

はじめました。

 
考えていたことや思いついたことが埋もれてなくなってしまうことがよくある。
 
朝起きて顔洗ったらおもしろかった夢の内容をさっぱり忘れているみたいに、漠然としたもやもやだけが残って、昼飯を食べたあたりで完全に忘れる。
 
でも、本を読んでると、共感なり、感動なり、得心することがよくあって、
「そうそうそれそれ! おれもそれ考えたことがあったんだよなあ~。言語化してくれてほんと感謝しかねえ……」
という思いに加え、
「これはおれも言語化できたのでは」
という感情になることが非常に多く、こりゃ忘れないようにどっかに書いておくしかねえなあ、と思いついてしまったので、ブログを書くことにした。
 
まあ、言語化したほうがいいことと、言語化しないほうがいいこともあるような気がするが、今まで言語化しないことに能力を割いてきた(さぼっていた)ので、いったんちゃんと言語化してみようぜ、と些細な意思の表れである。
インターネットスポーツとしてちゃんとtwitterをしようと思ったのだが正直向いてない気がしたので土俵はブログになりました。
 
忘れるくらいだから大事なことではない。そういう意見もあるけれど、自分はそこまでスペックのいい脳味噌をしていないから記憶力はよくないし、不器用で、基本的な活動エネルギーが足りない。常に枯渇気味なのは観測上わかっているので、とっかかりを適当にメモして、言葉がいくつか堪ればあとは出力するだけなので、自分の客観視と、とっかかりにどれくらい気がつけるかを極めればぼちぼち書けるだろうと思っている。
 
 
自己紹介が遅れました。
稔朗(じんろう)です。よろしくお願いします。